2004年06月18日

争いを見る見解/事実の複写

1af7c4d0.gif6月28日(火)より以下展覧会開催いたします。詳しくは続きをクリックください。

Passing, Looking at a Discord -Weathering-
& 2003 exhibition works
Range/ Boundary
The viewpoint from a window/ Proof of Love
Masahiro Amano
Gallery Den, Osaka
Supported by Conservation Studio of Art Collection
アマノ雅広
ー争いを見る見解/事実の複写ー
& 2003 exhibition works
2004年6月29日(火)〜7月4日(日)
12:00 p.m - 7:00 p.m (最終日は午後4時)
会場:ギャラリーデン 
協力:資料保存工房

他、2003年展覧会(1月「領域/境界」京都ドイツ文化センター、11月「愛の証明」石田大成社ホール)から未発表含む約4点を出展予定。

会場の 地図はこちら


以下写真展に向けてのテキスト



はじめに

「哲学と宗教が終わった人類のこの時期にあって、芸術はあるいは他の時代に<人間の精神的必要物>と呼ばれたようなものをかなえる努力になるかも知れない。......芸術の唯一の要求は芸術のためのものである。芸術は、芸術の定義なのだ」 
ジュセフ・コスス「哲学以後の芸術」より

ー事実の複写からー

写真は、あくまで事実(現実)の標識であると意識している。

どのように写し出し、切り取ろうが、事実(現実)のもとにおいて、観衆の思考が働いている。その現象による観察、学習、傾注が、特に先進国の人々にとって、染み付いたものと考えている。写真を撮る媒体は、現在様々メディアを通して使用できるようになり、言葉に次いで写真(映像)は、人間社会に同化していることと感じる。グローバル社会においては、それ以上の言語能力を兼ね備えているかもしれない。ただし、写真(映像)は道義的、知的な仕事を行うことはできない。観衆の思考により見いだすことと感じてる。21世紀の写真家の仕事は、20世紀に比べても、格段に撮られていると感じている。近年世界中において、一日数十、百万回の写真(映像)が撮られている現象(それ以上かもしれない)は、結果多くの観衆の思考が一枚の写真により成される事実は、少ないかもしれない。

今回の展覧会は、同じイメージの複写に複写を通して、写真(映像)の移り変わりを発表する。このイメージは、2002年NYグランドセントラルターミナルにおいて撮影した作品「争いを見る見解」からの一枚である。このイメージには、仮設で建てられた*ボードに、行方不明者の詳細を記したコピーが掲示され、行き交う人々を写したものの1枚である。

このアプローチが、何かの標識(傾注)になればと願っている。人類の歴史において、争いは避けられないかもしれない。しかし、より良き社会を望む精神を忘れないためにも、注意を胸に秘めることを願っている。

そして最後に、美は伝承に執着し、はかなくも永続であれ、その観衆の思考そのものが美であることを信じている一人である。そして、その美が人間の良き未来の指針になると信じている。

2004年 記
アマノ雅広

* 現在はこの場にはなく、この作品は、2002ー3年に渡米して撮影。2003年冬、渡米の時には、すでに撤去されている。

最後にこの文章を添えて

「映像に取り上げられ、切り取られた歴史。その歴史や苦しみの原因について見る側が無知でも、写真がその無知を修復してくれるわけではない。だが、これもまた欠陥ではない。映像という形態で何かを見る。それを契機として、観察、学習、傾注が始まる。写真が私たちに代わって道義的、知的な仕事をするわけにはいかない。だが、私たちが私たちの道を歩み始める契機にはなるのだ。」(木幡和枝訳)

スーザン・ソンタグ「テロへの眼差し /戦争と写真」より

略歴
アマノ雅広(天野雅弘)
写真家兼クリエイティブ・ディレクター
独学にて写真を学ぶ。2000年渡独。2002、3年渡米。主な近年の展覧会は、2002年「待つ女」巡回展、2003年「領域/境界」2人展ともに京都ドイツ文化センターほか個展、グループ展国内外含め多数開催。現在、作品制作と平行し、藝術の普及、振興並びに芸術文化の向上の活動に意欲的に取り組む。現在、石田大成社ホール /クリエイティブ・ディレクター、 wps1極東プロデュ−サー補佐を兼任。

(テキスト改正日:6/26)

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